××× | ××× | 晴れ間が続くとの天気予報は見事に外れ、最近雨ばかり降る。雨の香りで肺が苦しくなるほどだ。 ドアを開ければ湿った土と草と、おそらく命の生臭い香り。立ち止まれば血の香りもするのではないだろうか。 叔父が死んだという知らせをもらったのも雨の日だった。 駆けつけた俺を迎えたのは土間にゴミ収集車から溢れ出した生ゴミよろしく飛び散っている断片。 俺のなのに!なのに奴らは検死に使うなどとほざいて掃除機で吸い取りビニール袋にピンセットで詰め込んでいた。 掃除機、ビニール、ピンセット?笑いすら漏れる。実際笑いを抑えるのに懸命だった。 母親が買ってくる鳥ササミによく似たそれはどこかに運ばれ、俺が手にしたのはこっそり持ち帰ってきた左耳だけだった。 旋盤機に爆風で押し付けられたそれはまるで何かの音に耳をすましているようで。引き剥がすのも苦労した。 見殺しにした女の遺品らしいピアスは俺がつけることにしたから取る。 耳は迷った末、叔父が好きだったトマトベースで一晩かけてゆっくり煮込み腹に収めた。 土に埋めて虫に食わせるのはあまりにも癪だった。第一叔父にあんな暗いところは似合わない。 とろりと揺れるゼラチンを舐めるように引き剥がして飲み込み、軟骨を噛み砕かないように注意する。 もうこの先何を食べても同じだと食べながら考えた。 これ以上の美味はありえないし、後はただのサプリメントだ。追悼に味覚くらいやっても良いだろう。 叔父を食べるのはすさまじい快楽で俺はほとんどイってた。 スプーンを置くのが惜しまれて皿まで舐める。 ぽつんと皿に残った繊細なオブジェのような軟骨はよく乾かして箱に収め、事あるごとに取り出しては指で唇で触れて思い出す。 「シンジ、何が好き?」 「焼きうどんかな」 なんて言ったら焼きうどんの差し入れが増えて閉口した。どうして皆額面通りに受け取るかね? 俺の味覚は叔父を食べた後から機能せず、何を食っても形しか感じられない。 第一焼きうどんが好きでよく作ってくれたのは叔父だ。 雨の香りは叔父を思い出させ、転じて水の香りも風の音もすべて叔父を思い出させる。 俺が息をしている限り叔父のことは忘れられないし、それはおかしいだとか異常だと謗られても俺にはどうしようもない。 叔父を思うのは息をするようなもので。息をするなというのは不可能だろう。 この先マトモに生きられるとも思わなかった。どこか根本的なところで捻じ曲がってしまっている自分を矯正する気もない。 叔父と出会った時点で俺は世界のすべてを棄てても側にいる決心をしてしまったのだ。 叔父がいなくなり約束が反故になったからといって棄てたものを埋立地まで探しに行くのか? それもまた約束違反だ。 だから俺もついにイカれたのかと思った。 「会いたかったよ」 それはいつもは使わない通学路で遠回りなかわりに人通りもほとんどない。ぼんやり考え事をしたいときだけ通る。 途中にあるのは開発業者に見捨てられた建売だとか誰が住んでいるんだか想像もつかない50年前に建てた公団だとか、 そんなものばかりだった。 奴は雑草に覆われ尽くした駐車場に立っていた。グレーの傘が雨露にぬれて銀色に光っている。 いつから立っていたんだろう?学生服の裾は濡れ、頬にまでしずくが垂れていた。 「……へぇ」 さて。俺が俺に会ったときってどう挨拶すべきなのかな? 再開発地区につき立入禁止の看板を押しのけ駐車場に入る。見れば見るほど俺だった。 奴はのんびりした顔で俺を待っている。まるで泣いているような頬のしずくに反して酷くアンバランスだ。 頬に触れた。暖かい。しずくを拭ってやるとくすぐったそうに目を細めた。これは俺の仕草だ。 足元が崩れ落ちそうになる。俺がここにいて触れる俺もいて。 「待っていた。長い間おまえを」 頬に触れる手を取って爪にキスをする。 「……おまえ、誰」 ひどく間の抜けた質問をしてしまう。触れる唇も俺の唇だ。薄くてくっきりした唇。 「三村信史」 よく知ってるだろうとからかうように奴。笑いをこらえているような口元の角度まで覚えがある。 俺はいつもこんな表情を作ろうとしているのだ。 「来るのが遅いから忘れられたかと思ったよ」 思ってもいないことを冗談めかして言うのも俺の癖だ。 「わすれる、はず……ないだろ」 奴はすっと唇を寄せて触れてくる。雨の香りが一層強くなり傘を持つ俺の手はやんわりと振り払われる。 雨に濡れて鮮やかな草の上に借物の鮮やかなピンクの傘が投げ出される。 そう、奴はこの傘を気に入らなかったようだ。当然だろう。一昨日セックスした帰りに借りたものなのだ。 「利子つきで返してね」 という言葉と一緒に。適当に甘い言葉を言っておけば事足りる便利な女でそれ以上でも以下でもない。 そういう、セックスを奴は嫌いだろう。 でも、誰ももういないから誰か抱きしめてくれる腕を探さないと立っているのも辛いって分かってくれる? 「遅いよ、何で今更来るんだ」 額を押し付けた肩先は血の錆びた匂いがきつい。そういえば肩なんかまるで花火みたいにキレイにはぜてたもんな。 「呼んでいただろう?」 「……呼んでた」 言葉も仕草も反応も。俺は出来の悪いコピーだ。オリジナルがここにいる。出来の悪さが際立つことこの上ない。 にっこりと実にキレイに微笑んでごめんと謝る。 もう遅いよ。すべて棄ててカスすら残ってないんだ。叔父さん。あんたをインストールするために。 ……それに。ちっともすまないと思ってないのに口先だけでついつい謝るのは俺の悪い癖じゃなかったっけ? ◆END◆
by Panorama Thank you! xxx |
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