「空 宝あり」



 その看板は学校から家へと帰る僕の目にいつも飛び込んできた。

「空 宝あり」

 うちから歩いて30分位の所に僕の通う小学校があり、 当時の小さな僕は当たり前のことだが行きも帰りも同じ道を使っていた。 けれども行き道の僕は毎日とても急いでいたので、周りを見る余裕なんてとても無かった。 その代わりというわけではないけれど、帰り道は違った。退屈な学校から帰るときの僕は急ぐ必要もなく、 のんびりと、色々な物を観察しながら足を進めて家に向かう。だから、 急ぎに急ぎ脇目もふらずに一目散に駆け抜ける朝の道と、そんな風にゆっくりと歩く夕方の道は、 僕にとっては同じ道ではなかった。帰り道は一種のささやかな冒険だった。たくさん楽しいことがあった。 田んぼに咲いているれんげ草の蜜を吸ってみたり、道沿いの見知らぬ人の家で水をもらって飲んだり、 車道と歩道を隔てる白い線を吊り橋に見立てて命がけで渡ったり。また時には脇道にそれた挙げ句山に入り込み、 草むらを彷徨い川の流れを横切って、結局30分の道程を4時間もかける、という大冒険もやらかしたりした。
 そんな楽しい時間を過ごせる「帰り道」に、僕がいつも目を留めてしまう物があった。 それがその看板だった。左側がビニールハウス、右側が民家で、車がやっと2台すれ違えるくらいの道をしばらく進むと、 突然右側の家の並びが途切れ、ぼろぼろ、としか表現できないくらい古くて汚い、 黒ずんだ木造の建物が現れる。2階以上ある建物ではなく、平屋で、けれど何故か扉は幾つもあった。
 建物は多分、上から見ると長方形をしていたのだと思う。思う、というのは、 歩道がその建物の反対側にあったせいで近づいたことがなかった上、建物の短い方の側が道に面していたのだが、 道からすぐに面していたわけではなく、少しだけ奥の方にあったからだ。
 看板は、その、短い方の壁の上の方に張り付けられていた。看板、とは言っても、実はそこまで大層な物ではなく、 正確な所は分からないが、学校の習字の授業で使った半紙くらいの大きさの白い金属板に、 手書きにしか見えない下手な黒い文字が数文字連なっていただけなのだけれど、 その文字が、当時の僕には不思議でしょうがなかったのだ。

「空 宝あり」

 どう見ても綺麗とは言い難い、暗い寂れた雰囲気の建物の壁面にかかっている小さな妙な看板と、 その看板の内容にはかなりのイメージのギャップがあったが、そんなことはどうでも良く、 僕は内容にかなり引きつけられた。

 空に、宝物がある!?

 その言葉を初めて見たとき、僕は本当に興味を引かれた。もしその看板に気が付いた人がいたら、 きっと僕じゃなくても気になると思う。そして空を見上げてしまうと思う。 そう、もちろん僕も空を見上げた。比較的田舎なお陰で中途半端に爽やかな空気。 その空気の層のずっと上の方を悠々と浮かび漂う雲。透き通るような薄水青の空。 僕はしばらくの間、空をじっと眺め続けていた。
 けれども、僕が見つめていた空は、別段なんの変わりもない空だった。宝とはなんだろう、 きっと何かが在るのだろう、と相当の期待を抱きながら見ていたのだけれど、 その期待は見事に外れたのだ。僕は少しがっかりした。
 ところが、一度気になってしまうとなかなか諦められないようで、次の日も、また次の日も、 僕は学校からの帰り、その建物を見る度に、ひっそりと張り付けられたその看板につい目をやってしまい、 そして書かれた文字を繰り返し読んでは空を見上げていた。しかしやはり宝は見つからず、 僕はその度に少しだけ失望しながらそのまま空を眺めているのだった。空には色々な姿があった。 ある日は眩しくて明るい青一色の空、またある日は暗い灰色斑の空。雲の形も様々だったし、 時には鳥が飛ぶ姿や飛行機の機体が視界をかすめていくこともあった。そして僕は、 同じ場所で見る空は、決して同じ空ではないことに気付いた。 行き道と帰り道が同じ道ではなかったように。


 小学校高学年になり、僕は学校の後、塾に通うことになった。私立の中学校を受験することになったので、 学校で習う勉強だけでは不十分なのだ。けれども、 小学生向けのきちんとした進学塾は田舎のこの辺りには全く無く、せいぜい、 学校の授業にあわせるだけの、言葉は悪いが落ちこぼれた生徒が通うような塾しかなかったので、 僕は電車に乗り、街中にある進学塾に通った。塾の時間に間に合わせるため、僕は急いで帰り、 電車に乗らなければならない。急がないと遅れてしまう。遅れると色々な差し障りが出る。
 僕は、学校から家への帰り道を、大急ぎで走って帰るようになった。間に合いそうにない時などは、 こっそりと母が車で迎えに来たりもした。帰り道の30分は、僕にとって冒険ではなくなった。 ただひたすらよそ見をすることなく走って通り過ぎる為だけの道でしかなかった。 周りの景色なんて見ているどころではなかった。看板を見て、空を仰ぐ事はもうなくなった。 毎日が物凄いスピードで過ぎていく中、僕はその速さに負けずにいるだけで精一杯だった。 日々勉強、それだけが僕の全てだった。それ以外のことは、僕には許されなかったのだ。


 そうして僕は、無事志望校に入学した。けれども相変わらず塾通いは続いた。 受験対策の勉強の次は、入学対策として英語や数学をやるのだと聞かされ、僕はそれに従った。 そしていつの間にか僕は小学校を卒業し、友達が揃って同じ地元の中学校に通う中、 一人電車に乗り、遠くにある私立の中学校に通うことになった。


 何年かたって、僕は懐かしい小学校への道を歩いていた。あの小学校には、今、僕の妹が通っていて、 ちょうど今日が運動会なのだ。僕は実を言うと余り行く気ではなかったのだが、母がどうしても、 というのと、僕自身、卒業して以来一度も訪れたことがなかったので少しだけ懐かしいのとがあって、 結局行くことにした。両親は朝から行って、妹を応援しているらしい。僕はさすがに一日中は遠慮して、 お昼から一人で歩いて行くことにしたのだ。
 何時までに着かねばならない、というのがないので、ゆっくりゆっくり、汗をかかない程度に歩いていると、 小さな看板が目に入った。僕がまだ小さかった時、毎日のように見ていた看板だ。だが、 当時ずっと自分が読んでいた言葉は書かれていなかった。

「空 室あり」

 僕は思わず何度も読み返した。けれどもやはりそうとしか読めなかった。 ずっと空に宝があるんだと信じていたあの頃は、どうやら幼すぎて「室」という漢字が読めず、 勝手に似ている感じと取り違えて読み、そのままそれが真実だと思いこんでしまっていたようだ。 そういえばこの建物には、たくさんの扉がある。ということは、ここはアパートのようなもので、 看板は単に入居者募集の為のものだったのだ。
 僕は思わず笑ってしまった。なんて馬鹿な思い違いをしていたのだろう。 空に宝なんてあるはず無いじゃあないか。それなのに当時の僕ときたら毎日立ち止まって空を見上げて、 いかにも子供だ。
 ひとしきり笑った後、笑みをおさめてから、僕は無意識のうちに空を見上げていた。 今日の空は雲一つ見あたらない空だ。目が痛くなるくらい鮮やかな色彩が、 僕の目に容赦なく差し込んできていっぱいになる。眩しすぎてふっと目がかすみ、 一瞬何も見えなくなって、気が付くと、目に涙が溢れていた。久しぶりに、 本当に久しぶりに空などを見上げたせいで、きっと目が刺激に耐えられなかったのだろう。 僕は涙を拭い、そこからまた歩き出した。
 そういえば、小学校の向かう途中にあの看板を見たのは初めてだ。僕は歩きながらふと気付いた。 いつもは学校からの帰り道にだけ眺めていたのだ。いつか見つかるはずの宝物を求めて、毎日。 ついにそれは見つかることがなかったけれど。
 でも、もしかしたら。僕は思い直す。
 僕はもしかしたら、本当は宝物を見つけていたのかもしれない。小さくて無邪気だったあの頃、 毎日空を仰ぎ見て来たいに胸を弾ませていた時間こそが、今から思えば、 何よりの宝物だったのではないだろうか。その日その日で表情を変える、美しい青空。 同じ場所から同じものを見ていても、 それを違うと感じられるものに出会えた事はまさに至宝であったとは言えないだろうか。
 僕は立ち止まり、もう一度空を見上げた。言葉に出来ないくらい綺麗だった。


 あの頃から、10数年が過ぎようとしている。田舎だったこの辺りにもだんだんと開発の手が伸び、 道路や建物が次々と変わっていった。あの看板の掛かっていた建物も、 いつ壊されたのかすら分からないまま姿を消し、今はもう無い。
 けれども、僕は忘れないだろう。あの頃の気持ちと、様々な青色を。 そう、それがきっと探し求めていた「宝物」なのだから。




<終>  















★1998年10月頃?発行、文芸部誌「燈火」用小説。9月頃脱稿。
看板ネタは小学校時代の実話。「空 宝あり」今でも忘れていません。
しかし小説に起こしたは良いのですが、ちと偽善的なまでに爽やか過ぎですね。
ラストの一文、もしや不必要だったか……とかちょこっと。
あとは時間が二段階ですっ飛ばされているので、そこも問題点だなぁ。何か変だ。
今後とも作品製作に切磋琢磨し精進致したく候。なんちて。


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