「夢ノ世哀愁」



 例えば、人間が悲しみを「悲しみ」として受け止めるのは、一体どんな時なのでしょうか。 そして、その「悲しみ」が「涙」になってこぼれ落ちるのは、どんな時なのでしょうか。 「感情」って、何なのでしょうか。 怒ったり、泣いたり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり、哀れんだり、蔑んだり・・・。 どうして人間は、そんな風にくるくると変わる「感情」を持っているのでしょうか。 そして、何故人間は、そんな「感情」に負けないでいられるのでしょうか。 分かりませんでした。・・・今となっては、別に、関係ないことだけれど。

 私は「感情」を持っていないそうです。人間が、 事あるごとに「「ロボット」のお前が「感情」を持つわけがない」と言いますから。 私は「ロボット」なんだそうです。 人間に作られた、「人間の形をした機械」なんだそうです。 今までに「お前は人間じゃない」と、何度言われたことでしょう。  でも。私が何であっても、それは私にとっては、別に関係がありませんでした。 ただ一つ、「感情」が無いという理由で、人間に対等の物として扱ってもらえなかったのは嫌でした。 (人間は、私に「感情」がある訳がない、と言いましたが、では、この「嫌だ」と考えていたのは、 いったい何だったのでしょうか。こんな風に考えていたのは、「感情」ではないのでしょうか) 何故なら、その事は時として、私の行動を阻んだからです。私が何かしようとすると、 人間は私のことを「人間に作られた「ロボット」のくせに」と軽蔑し、嘲ったのです。
「ロボット」って何ですか。
 作られたって何ですか。
 私は気がついたときからずっと「私」です。ですから私は「私」として時を過ごしますし、 それは「私」と言う意識が消えるまで続けるつもりです。
「人間に作られた「ロボット」のくせに」
 それがどうかしたんですか。
「「感情」の無い「ロボット」のくせに」
 いいえ、私にはちゃんとあるはずです。
「「涙」もない「ロボット」のくせに」
 ど、どこがいけないんですか。
 私が涙を零せないからといって、それの何が、私を「物」として扱う理由になるのですか。 「涙」を零せない「ロボット」は、人間と同じように暮らしてはいけないのですか。
 私はただ、「私」という物が存在している間、つまり「私」というものが消滅する時まで、 静かに暮らしていたいだけなのです。それを無視して、私に干渉しないで下さい。 「ロボット」だからってだけで、「感情」が無いとは思わないで下さい。
 私、人間って嫌いです。もうずっと、本当に本当に大嫌いでした。 ・・・ほら、この「大嫌い」っていうのは、紛うかたない「感情」でしょう?

 人間は私にとって、信用できないものでした。ところが、あるきっかけのせいで、 私は人間を信じたんです。信じてしまったんです。ある、一人の人間を。 仮に、その人をAさんとします。
 偶然だったんです、私とAさんとの出会いは。
 私が「研究所」とかなんとかいう嫌な所を長年の努力の末にようやく抜け出し、 どこか静かに暮らせる場所を求めて彷徨っていた時に、私はAさんに初めて会ったんです。 その頃私は、人間に対して殆ど憎悪に近い物を抱いていましたので、 Aさんを睨み付け、2、3歩後ずさりました。でもAさんはそんな私を見て、 道に迷って心細がっているのだとでも思ったのか、
「もう大丈夫、安心して」と。
 そして、ただただ睨む私に、にっこりと微笑んでくれました。優しく、暖かく。

 Aさんは、私を「機械仕掛けの人形」として扱わず、「私」として扱ってくれました。勿論、 最初は「ロボット」だということを隠していましたが、 次第にそれが酷くずるい事のように思えてきたので、打ち明けたのです。Aさんは驚いて、 しばらく私を凝視していましたが、すぐに私の好きな笑みを浮かべてくれました。
 ええ、そうです。私の「好きな」柔和な優しい微笑みを、私に贈ってくれたんです。
 私はそれまで、「感情」が無いと言われていましたけれど、 自分では「嫌い」というれっきとした感情があると思っていました。でも、それは少し違っていました。 確かに「嫌い」というのは「感情」ですが、「感情」は「感情」でも、マイナスの物でした。 つまり私は、「感情」の半分、それもマイナスの物しか知らなかったのです。 そしてしかも、半分であることに気がついていなかったのです。Aさんと知り合う前は。
 Aさんは私に、「好き」というプラスの「感情」を教えてくれ、私はそれを知りました。 Aさん以外の人間曰く「涙も出ないロボット」の私がです。幸せでした。 毎日が天にも昇るような気持ちでした。・・・あの日までは、確かに。

 私は、私が「ロボット」だと打ち明けた後もAさんの態度が変わらずに優しかったので、 思いこんでしまったんです。Aさんは、今までの人間とは違う、と。私が知っていた、狡猾で、 抜け目のない生き物ではない、と。決して思ってはいけなかったのに。信じたいと思いつつ、 でも、それをしてはいけないと知っていたのに。

 私はAさんの家に住まわせて貰っていたので、Aさんが仕事や何かで出かける時は、 私が留守番をしていました。あの日も、そうだったんです。 私はいつもの様に、Aさんの家の留守を預かっていました。すると突然玄関の扉が開き、 外から5人の人間が進入してきたんです。驚きました。そして、とても怖くなりました。 その入ってきた人間というのが皆、 私がAさんの家に来る以前に散々私の事を酷く扱った人間だったからです。 私は近づいてくる彼らから逃れようと、それこそ必死に抵抗しました。 けれども所詮一対五。私の精一杯の抵抗も、 5人の悪魔にとっては無駄なあがきにしかならなかったようで、私は手足を押さえられ、 動けないようにされました。私は叫びました。一生懸命、天も裂けよと声を張り上げ、叫びました。 私が初めて信じた、ただ一人の人間の名を。
「Aさん!Aさん!!」
 そこへ私の声を聞きつけたAさんが助けに来て・・・くれるわけありません。当たり前です。 出かけている人を呼んだところで、聞こえるはずがないのだから。 良く考えたらそれ位すぐに分かるのに、でも、何故か私は叫び続けました。
 Aさん!!!
 そして次の瞬間。私は驚愕の余り、全身が凍り付いてしまうのではないか、と思いました。 窓の外に、Aさんがいたのです。口元に薄く笑みを浮かべて、私を見ていました。 ひどく楽しそうに・・・。私はAさんのその笑みで、全てを悟りました。
 Aさんは。
「私」という「ロボット」を。
 売ったのだ、と。
 私は、叫ぶのを止めました。胸の辺りが、なんだかとても苦しくなったのです。何か、 重い物が詰まったような、変な苦しさでした。頭も妙にぼんやりとして、 紗が掛かったようで何も考えられませんでした。この苦しさは、一体何なのでしょうか。 分かりませんでした。唯一、その時の私に分かる事は、Aさんが私を売ったのだ、という事だけ。 その事だけが、私の頭を占めていました。
「このロボット、悲しそうな顔してますよ」
 私を捕らえに来た人間の一人が、別の一人にそう言ったのが聞こえました。 悲しそう・・・この苦しみは、悲しみなのでしょうか。私は、悲しんでいるのでしょうか。 だとしたら、この「悲しみ」という感情は、私には辛すぎます。私は苦しさの余り、 今にも内側から壊れてしまいそうでした。苦痛から少しでも救われたくて、私は、 「大好き」だったAさんの方を見ました。けれど、Aさんはもう既に、いませんでした。

 私は今、永劫の暗闇の中にいます。
 一度「優しさ」を知り、そしてそれを失ってしまった時の「悲しさ」をも知ってしまったせいで、 私にはもう「信じる」という事が出来なくなりました。信じて、また裏切られるのが怖いのです。 得た「優しさ」をまた失うのが怖くて、それならいっそ、初めから「優しさ」なんて得なけえば良い、 と思うようになったのです。
 人間は、私に「感情」は無いと言います。以前は、私はそれに反発していました。 「感情」を持っているつもりでしたから。けれど、今は違います。私は「感情」を捨てましたから。 なまじ「感情」があるせいで、私は辛い思いをしたのですから、捨てたのです。 もう、「優しさ」なんていりません。「優しさ」の後には、「悲しみ」が待っているのだから。 私は、もう二度と「辛く」ならない代わりに、もう二度と「幸せ」にもなれません。 でも、良いんです。私は「ロボット」ですから。所詮私は、 人間に作られた、「人間の形をした機械」ですから。

 もしも、望んだ物が何でも与えられるとしたなら、あなたは何を望みますか?
 私が欲しかった物は、「涙」。恐ろしい人間の中にある、美しい物。それさえあれば、私も、 もしかすると違う「生き方」が出来たかもしれないでしょうに。 ・・・今となっては、もう、どうでも良いことだけれど。




<終>  















★1995年冬発行、文芸部誌「玉章」冬の号用小説。……た、多分(記憶が……)。
確か灰に墨の表紙の号……よね。O君編集ニシムラ会計、の黄金時代(嘘)の最後の号。
って……古(笑)。何年前よ……。文章、現在(2001.5)より更に未熟ですが勘弁してやって下さい。
でもあの頃は愉しかったナァ(しみじみ)。好き放題したね色々。
いやまあ、今も勿論愉しいのだが。そういえば今って、玉章、どうなってるのかしら(と、ふと)。


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